特に予定のない日、いい天気でもあったので1985年4月1日に廃止になった弥彦東線の廃線跡を訪ねてきました。
弥彦東線は東三条~越後長沢間7.9キロの区間、現在の国道289号線に沿って走っていたようです。
まずは終点の越後長沢駅跡。
現在の三条警察署下田交番のあるあたりだったそうで、交番のすぐとなりに駅跡だったことを示す石碑が建っていました。
道路の反対側は駅構内だったのか広い土地がバス停となっており、バスとタクシーが待機していました。
バス停の名前はそのまま「長沢駅跡」
バス待合所の裏に回ると「工」の文字が刻まれた境界杭が残っていました。
次は大浦駅跡。
駅跡はひめさゆりパークというトイレ付き駐車場に活用されていました。
駅跡だったことを示す石碑が残る。
越後大崎駅跡。
三条警察署大崎駐在所前の交差点付近が駅だったらしいですが、遺構らしきものはなにも残っておらず、石碑も建っていません。
付近を散策すると駐在所裏手に「工」の文字が刻まれた境界杭を発見!
個人所有地っぽかったので近くまで行きませんでしたが、精一杯拡大して撮影。
唯一残る鉄道の痕跡かな?
東三条駅南口までやってきました。
東三条駅南口につながる跨線橋は東三条駅旧4・5番線ホームをそのまま活用した土台の上に立っています。
1番線に信越線には珍しく気動車が入っていました。只見線からの回送かな?
東三条駅の東の端から旧4番線方向を望む。
小さな橋が残っており、おそらく弥彦線はこの上を走っていたのだろう。
後ろを向くと道路になっており、ゆるく右にカーブしている。
こういうカーブは廃線跡の特徴。道路はこのまま国道289号線に繋がっている。
線路跡はほとんど国道289号線に転用されたようで、遺構らしきものはほとんど見つけられませんでしたが、ここを鉄道が走っていたのだなあと思うと感慨深い。
越後長沢駅まで行くとだいぶ山が迫ってくるが、あの山、八十里越の峠を越えて只見まで繋げる計画もあったという。ちなみに国道289号線は未だに八十里越は不通区間。河井継之助も八十里越を越えた後亡くなったという難所を鉄道が先に開通していたらどうなっていたのだろう?