こびとてつどう再開

庭仕事をちょっとやった後、庭園鉄道の路盤整備を始める。冬を越したので線路が錆つき、通電しなくなっています。

クレ556で接点改善をしつつヤスリでレールを磨いていくと、とりあえず内周は走行するようになりました。外周はまた後日。

そんな路盤整備をしていたら、近所の子どもたちが遊びに来てくれました。やっぱり子どもはこういうのが好きだよね。

ところでその子どもたち、こびとてつどうが開業した頃に来ていた子どもたちと同じくらいの年齢だったけど、あれから10年弱。その子どもたちはもう中学生くらいか?

ということは彼らはその弟世代ということか?

3月16日ダイヤ改正

3月16日にJRのダイヤ改正がありましたが、だんなが通勤に使っている列車にはたいした影響はありませんでした。

さてそのダイヤ改正に絡んで。
さつき野駅にダイヤ改正の新旧対応表が貼ってありましたが、そこで小さな発見。

さつき野駅って新津方面が1番のりば、新潟方面が2番のりばだったのね。

さつき野駅のモニター続報

信越線が強風の為遅れ気味。
先日から稼働したさつき野駅のモニターがどう表示されているか気になったので見に行ってみた。

遅れている列車ごとに遅れ時間が表示されていたが、今日は影響も少ないので、こんなものか。

ちなみにしばらく見ていたが、信越線の情報を日本語表記と英語表記を繰り返すだけで、磐越西線の列車位置は表示されませんでした。

旧赤谷線廃線跡探訪

ヨメが不在の一日。いい天気だったので午後からフラリとドライブ。
身近ではあったけどなかなか実行する機会の少なかった旧赤谷線跡を探訪してみることにしました。

とりあえず終着駅であった東赤谷駅跡を目指しますが、事前の確認不足のため正確な位置がわからず、とりあえず県道335号を山に向かって走ります。
このあたりはまだまだ雪が残ってますね。道幅も狭くなりだんだん心細くなります。

そして通行止め・・・
この先加治川治水ダムへ繋がる道は当期間通行止めのようで、東赤谷駅より先に続いていた日鉄鉱業赤谷鉱業所専用鉄道の赤谷鉄山駅までは行けないようです。

ここでネットで東赤谷駅跡の位置を確認しようと思ったら圏外・・・
そんなに山奥なのか?

仕方がないので車を上赤谷付近のネットが繋がるエリアまで戻し、再度東赤谷駅跡を目指します。

途中で見かけた橋脚跡。専用線で使われていたのでしょうか?


東赤谷駅跡。雪原でなにも残っていない。奥に向かって赤谷鉄山駅方面。専用線のヤードやスイッチバックの引込線があったと思われる。

まわりはなにもない。鉱山で賑わっていた頃は沢山の人が住んでいたというが、廃屋のひとつも見つからない。すべて雪の下。
35年前の廃線の日にここに来たことがあるが、その時はたくさんの人がいた。今はだんなひとり。


遺構らしきものとしては枕木?で作られた人工物が見える。


付近の電柱には「鉱山幹」の文字。赤谷鉱山があった記憶。


東赤谷駅跡からちょっと下ったところに残っていたバス待合所。
赤谷線の代替バスは2018年3月のダイヤ改正で東赤谷へ向かうバスが廃止され、すべて上赤谷から赤谷六軒町~新谷方面へと変わった。
バス停は撤去され、バス待合所だけ残っていた。

今度は雪のない時期に来てみよう。

山を下って次は赤谷駅跡へ。
鉄道遺構としてはインパクトの強い不動橋のガーター橋。築堤が取り除かれているのでどこか異様な雰囲気。

赤谷駅跡。
駅舎は今でも残り、バスの待合室や集会所に使われている。

赤谷駅ホーム跡。道路に転用されている。右の建物が赤谷駅舎。


駅の表側に回ってみたが、雪に埋もれて近づけなかった。大きく曲がった松が印象的。


赤谷駅は1面2線の島式ホームで、駅舎とホームは構内踏切で渡っていた。集会所から道に出る階段は当時のホームに繋がる階段だろうか?


駅前の通りの電柱には「赤谷駅分」の文字。こんなところに駅の記憶が残る。

赤谷~新山内間。
県道の脇に使われなくなった橋が残る。廃線跡を転用して新しい広い橋をかけたので使われなくなった。ある意味鉄道遺構。

左の高い橋が県道。右が旧道。
奥にカラフルな色に塗られた車掌車があるが、個人所有らしい。同敷地内に「赤谷の駅」と書かれた駅名標があるが駅跡ではない。

ほぼ同地点、中々山集落付近。県道を跨ぐように水道橋があるが、県道の右のスペースが廃線跡。
この一寸先から廃線跡はサイクリングロードとして転用されている。


新山内駅跡付近。正確な位置はよく分からなかった。
付近に枕木を庭で使用している家があったが、赤谷線で使われていたものだろうか?
いくつか境界杭を見つけたが、「工」の文字は確認できなかった。

米倉駅跡は駅名標が残る。付近は公園となっていた。

大きな木は当時からあるものだろうか?


駅前の電柱に「米倉駅幹」の表示。
間違えやすいが、旧米倉駅跡のある場所は大槻集落の中。米倉集落は次の新江口駅のほうが近い。ここに駅ができたのはすぐ近くに米倉小学校があるからだろうか?

新江口駅跡付近。前述の通り廃線跡はサイクリングロードになっているので辿ることは容易だが、整備されすぎていて遺構が殆ど残っていないので、駅跡などを探ることが難しい。新江口駅跡も正確な位置はわからなかったが、駅跡には東屋が建っている法則があるらしいので、ここがおそらく駅跡であろう。


境界杭は「新発田市」と彫られていた。
ここ以外も境界杭を複数確認したが、新発田市のものが大半だった。廃線後サイクリングロードに転用される際に新発田市に移管され、整備のときに国鉄の境界杭は取り除かれて新たに打たれたのだろうと想像される。

近くで見つけた石像。・・・だれ?
碑もなく、敷地内の壁際に佇んでいた。

五十公野駅跡。だいぶ日が傾いてきた。

指が写ってるし・・・
駅跡にはホームを模した休憩用ベンチが設置されている。

駅跡のすぐ脇には農協の立派な倉庫。五十公野駅では米の出荷なども行われていたのだろうか?

東中学校前仮停車場跡付近。
このちょっと先、赤谷方のスーパーの駐車場あたりにホームがあったらしい。

このすぐ近くの交差点にあった藤倉という食堂が美味しかったのだが、今日行ったら閉店しているっぽかった。ちょっと悲しい。

ここまで来て時間切れ。新発田駅まで辿り着くことはできなかったが、赤谷線は馴染みのある路線(廃線時小学生だったのに、廃線の日に一人で乗りに来ていた)のに、ここまで細かく廃線跡を訪ねることはなかったなあ。
今度は雪のない時期に来て、赤谷鉱山専用線跡も訪ねてみることにしよう。

 

 

さつき野駅の待合室

さつき野駅の待合室にモニターが設置。列車の運行情報が表示されていました。
しかも列車の位置情報まで。これは便利。まあスマホでも見られるんだけどね。ちょっと時刻表は文字が小さくて見にくいかな。

位置情報は下りは新潟駅まで、上りは田上駅までの間の列車の位置が示されるようですが、磐越西線から来る列車の位置はわからないのかな? 時間で切り替わるのかな?

こういうのはトラブルの時にどんな表示になるか期待したいところ。便利になるといいね。

弥彦東線廃線跡

特に予定のない日、いい天気でもあったので1985年4月1日に廃止になった弥彦東線の廃線跡を訪ねてきました。
弥彦東線は東三条~越後長沢間7.9キロの区間、現在の国道289号線に沿って走っていたようです。

まずは終点の越後長沢駅跡。
現在の三条警察署下田交番のあるあたりだったそうで、交番のすぐとなりに駅跡だったことを示す石碑が建っていました。

道路の反対側は駅構内だったのか広い土地がバス停となっており、バスとタクシーが待機していました。


バス停の名前はそのまま「長沢駅跡」


バス待合所の裏に回ると「工」の文字が刻まれた境界杭が残っていました。

次は大浦駅跡。
駅跡はひめさゆりパークというトイレ付き駐車場に活用されていました。

駅跡だったことを示す石碑が残る。

越後大崎駅跡。
三条警察署大崎駐在所前の交差点付近が駅だったらしいですが、遺構らしきものはなにも残っておらず、石碑も建っていません。

付近を散策すると駐在所裏手に「工」の文字が刻まれた境界杭を発見!
個人所有地っぽかったので近くまで行きませんでしたが、精一杯拡大して撮影。

唯一残る鉄道の痕跡かな?


東三条駅南口までやってきました。

東三条駅南口につながる跨線橋は東三条駅旧4・5番線ホームをそのまま活用した土台の上に立っています。
1番線に信越線には珍しく気動車が入っていました。只見線からの回送かな?


東三条駅の東の端から旧4番線方向を望む。
小さな橋が残っており、おそらく弥彦線はこの上を走っていたのだろう。


後ろを向くと道路になっており、ゆるく右にカーブしている。
こういうカーブは廃線跡の特徴。道路はこのまま国道289号線に繋がっている。

線路跡はほとんど国道289号線に転用されたようで、遺構らしきものはほとんど見つけられませんでしたが、ここを鉄道が走っていたのだなあと思うと感慨深い。
越後長沢駅まで行くとだいぶ山が迫ってくるが、あの山、八十里越の峠を越えて只見まで繋げる計画もあったという。ちなみに国道289号線は未だに八十里越は不通区間。河井継之助も八十里越を越えた後亡くなったという難所を鉄道が先に開通していたらどうなっていたのだろう?

乗り間違え

新潟駅9番線、15:46新潟発新津行
ボックスシートに座って発車を待っていたら
隣のボックスシートに乗っていた親子が慌てて降りていった。
また乗り間違えかな?

新潟駅高架化工事で5月に高架の2~5番線と地上の8・9番線が使用開始になってから
なんか乗り間違いの人が多くなった気がする。
例えば15:46発新津行は9番線発車。
さっきの誤乗した親子はおそらく次発の16:01発豊栄行(こちらも9番線発車)に乗ろうとしていたのだろう。
それだけではなく新潟駅高架化以降だんなが遭遇しただけでもこれで3件目だ。
さつき野駅まで来たところで「佐々木駅(白新線)まで行きたいんだけど」って言われたこともある。
あなたが乗ってきたのは信越線ですよ?

ちょっと誤乗が多すぎないか?

そういえば高架化以前の地上ホームが1~7番線だった時代は
1番線が特急や越後線から白新線への直通列車
2・3番線が信越線
4・5番線が越後線
6・7番線が白新線・羽越線
そんなふうに方面別で分かれていたような気がする。
(もちろん例外もあったが・・・)

今はホームが少なくなったし高架化工事の途中ということもあるのだろうけど
方面別にホームが分かれていないから
誤乗が多くなっているんじゃないかなあ?


高架化工事中の新潟駅(9番線から)