旧赤谷線廃線跡探訪

ヨメが不在の一日。いい天気だったので午後からフラリとドライブ。
身近ではあったけどなかなか実行する機会の少なかった旧赤谷線跡を探訪してみることにしました。

とりあえず終着駅であった東赤谷駅跡を目指しますが、事前の確認不足のため正確な位置がわからず、とりあえず県道335号を山に向かって走ります。
このあたりはまだまだ雪が残ってますね。道幅も狭くなりだんだん心細くなります。

そして通行止め・・・
この先加治川治水ダムへ繋がる道は当期間通行止めのようで、東赤谷駅より先に続いていた日鉄鉱業赤谷鉱業所専用鉄道の赤谷鉄山駅までは行けないようです。

ここでネットで東赤谷駅跡の位置を確認しようと思ったら圏外・・・
そんなに山奥なのか?

仕方がないので車を上赤谷付近のネットが繋がるエリアまで戻し、再度東赤谷駅跡を目指します。

途中で見かけた橋脚跡。専用線で使われていたのでしょうか?


東赤谷駅跡。雪原でなにも残っていない。奥に向かって赤谷鉄山駅方面。専用線のヤードやスイッチバックの引込線があったと思われる。

まわりはなにもない。鉱山で賑わっていた頃は沢山の人が住んでいたというが、廃屋のひとつも見つからない。すべて雪の下。
35年前の廃線の日にここに来たことがあるが、その時はたくさんの人がいた。今はだんなひとり。


遺構らしきものとしては枕木?で作られた人工物が見える。


付近の電柱には「鉱山幹」の文字。赤谷鉱山があった記憶。


東赤谷駅跡からちょっと下ったところに残っていたバス待合所。
赤谷線の代替バスは2018年3月のダイヤ改正で東赤谷へ向かうバスが廃止され、すべて上赤谷から赤谷六軒町~新谷方面へと変わった。
バス停は撤去され、バス待合所だけ残っていた。

今度は雪のない時期に来てみよう。

山を下って次は赤谷駅跡へ。
鉄道遺構としてはインパクトの強い不動橋のガーター橋。築堤が取り除かれているのでどこか異様な雰囲気。

赤谷駅跡。
駅舎は今でも残り、バスの待合室や集会所に使われている。

赤谷駅ホーム跡。道路に転用されている。右の建物が赤谷駅舎。


駅の表側に回ってみたが、雪に埋もれて近づけなかった。大きく曲がった松が印象的。


赤谷駅は1面2線の島式ホームで、駅舎とホームは構内踏切で渡っていた。集会所から道に出る階段は当時のホームに繋がる階段だろうか?


駅前の通りの電柱には「赤谷駅分」の文字。こんなところに駅の記憶が残る。

赤谷~新山内間。
県道の脇に使われなくなった橋が残る。廃線跡を転用して新しい広い橋をかけたので使われなくなった。ある意味鉄道遺構。

左の高い橋が県道。右が旧道。
奥にカラフルな色に塗られた車掌車があるが、個人所有らしい。同敷地内に「赤谷の駅」と書かれた駅名標があるが駅跡ではない。

ほぼ同地点、中々山集落付近。県道を跨ぐように水道橋があるが、県道の右のスペースが廃線跡。
この一寸先から廃線跡はサイクリングロードとして転用されている。


新山内駅跡付近。正確な位置はよく分からなかった。
付近に枕木を庭で使用している家があったが、赤谷線で使われていたものだろうか?
いくつか境界杭を見つけたが、「工」の文字は確認できなかった。

米倉駅跡は駅名標が残る。付近は公園となっていた。

大きな木は当時からあるものだろうか?


駅前の電柱に「米倉駅幹」の表示。
間違えやすいが、旧米倉駅跡のある場所は大槻集落の中。米倉集落は次の新江口駅のほうが近い。ここに駅ができたのはすぐ近くに米倉小学校があるからだろうか?

新江口駅跡付近。前述の通り廃線跡はサイクリングロードになっているので辿ることは容易だが、整備されすぎていて遺構が殆ど残っていないので、駅跡などを探ることが難しい。新江口駅跡も正確な位置はわからなかったが、駅跡には東屋が建っている法則があるらしいので、ここがおそらく駅跡であろう。


境界杭は「新発田市」と彫られていた。
ここ以外も境界杭を複数確認したが、新発田市のものが大半だった。廃線後サイクリングロードに転用される際に新発田市に移管され、整備のときに国鉄の境界杭は取り除かれて新たに打たれたのだろうと想像される。

近くで見つけた石像。・・・だれ?
碑もなく、敷地内の壁際に佇んでいた。

五十公野駅跡。だいぶ日が傾いてきた。

指が写ってるし・・・
駅跡にはホームを模した休憩用ベンチが設置されている。

駅跡のすぐ脇には農協の立派な倉庫。五十公野駅では米の出荷なども行われていたのだろうか?

東中学校前仮停車場跡付近。
このちょっと先、赤谷方のスーパーの駐車場あたりにホームがあったらしい。

このすぐ近くの交差点にあった藤倉という食堂が美味しかったのだが、今日行ったら閉店しているっぽかった。ちょっと悲しい。

ここまで来て時間切れ。新発田駅まで辿り着くことはできなかったが、赤谷線は馴染みのある路線(廃線時小学生だったのに、廃線の日に一人で乗りに来ていた)のに、ここまで細かく廃線跡を訪ねることはなかったなあ。
今度は雪のない時期に来て、赤谷鉱山専用線跡も訪ねてみることにしよう。

 

 

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